外なる人、内なる人
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(Ⅱコリント4章16節)
外なる人は衰え、内なる人は日々新たにされる。外なる人とは、肉体だけでなく、精神も含む。内なる人とは、肉体に対する精神のことではなく、悔い改め、新生した者に与えられる御霊による特別の新しさを持つ者。その者は主のよみがえりを土台とする重い永遠の栄光に至る。
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「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(Ⅱコリント4章16節)
外なる人は衰え、内なる人は日々新たにされる。外なる人とは、肉体だけでなく、精神も含む。内なる人とは、肉体に対する精神のことではなく、悔い改め、新生した者に与えられる御霊による特別の新しさを持つ者。その者は主のよみがえりを土台とする重い永遠の栄光に至る。
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「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。」(Ⅱコリント4章15節)
人間に与えられた知力は大きい。しかしその知力に人間の誉れがあるのではなく、むしろその弱さにある。弱さを持つのは神の栄光を現わすため。自分にとって理解し得ないことを受け入れなければならない時も、自分の信仰をただ主の真実さの上に建てる。
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「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。」(Ⅱコリント4章7節)
聖書の土の器とは、単にはかない人間を意味するのではなく、入れられる宝の輝きが現わされ、器自体も生かされる祝福を言う。その器とは、金銀の輝きではなく、苦しみと屈辱による輝きを持つ。この宝を持つ者は、楽をしようとか、うぬぼれや自暴自棄など妄想できなくなる。
「神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。」(Ⅱコリント4章6節)
この世の神のおおいがキリストの光をさえぎっている。この世の神とは、金、地位、名誉、等々。現代流には価値ある私の実現―キリストの光をさえぎるような自分の存在意義拡張の幻想に浸ること。キリストがこのおおいを取り去ろうと語りかけておられることを、日々感謝して受け入れよう。