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2006年6月

2006年6月26日 (月)

キリストの愛 我に迫れり

「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。」(Ⅱコリント5章14節)

古来からある瞑想的修行は、身体的には睡眠状態と言われる。しかし、「キリストの愛 我に迫れり」とは、正気なのか、と言われるほど激しい愛と使命を意識したもの。自分にできるかどうかではなく、本当の愛とは何かをしらされているがゆえに謙遜になることが大事。

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2006年6月20日 (火)

幕屋にあるうめき

「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。」(Ⅱコリント5章10節)

この罪の世は不公平な世。このままで終わるはずはない。この世のみか、永遠を支配される善なる神は、この幕屋にあるうめきを放っておかれない。信仰者のうめきは、神が最もうるわしいことをなさると確信する者のうめき。これこそ地上生涯を生きる力である。

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2006年6月14日 (水)

見えないものにこそ目を留めます

「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(Ⅱコリント4章18節)

内なる人、重い永遠の栄光、見えないもの――これらは人にではなく、神と神の御霊によるもの。人は見えない神から遠ざかるのではなく、見えない方を見るようにして忍び通す(モーセ)。悲しんでいる人のみが見ることのできるものがあるように、耐えるたびに、その人の人生の本当の意味を見させられる。

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