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2006年8月

2006年8月28日 (月)

欺く者、当てにならない小川

「あなたは、私にとって、欺く者、当てにならない小川のようになられるのですか。」(エレミヤ書15章18節)

旅人は干上がった川に欺かれるが、神は人を欺く方ではない。人は一時の思い違いで離れるかとどまるかの分かれ道に立つが、主は甘やかすことなく言われる。「普通の人の言葉ではなく、思い言葉を語れ。もし帰って来るなら、わたしの前に立たせよう。」帰らせられる祝福に生きよう。

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2006年8月23日 (水)

湧き水の泉とため池

「わたしの民は二つの悪を行った。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。」(エレミヤ書2章13節)

おぞ気立て!と神から叱責されたイスラエル。何故か。湧き水(いのち)の泉(神)を捨てて、(むなしい)壊れたため池をを握っているから。その原因は意識して神を捨てたこと。お互いの生活がため池の地割れのように悲しく不安であってよいだろうか。湧き水であられる方を思い、いのちを与える泉を造り出せ。

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2006年8月14日 (月)

急ぎ足の者はつまずく

「熱心だけで知識のないのはよくない。急ぎ足の者はつまずく。」(箴言19章2節)

急ぎ足で、熱心だけで知識のなく、罪を犯し、生活を滅ぼす愚かさ。しかもそれを人のせいにし、怒りをうらむ愚かさ。人はすぐにキレる。しかし神は悠然としておられる。急ぎあせる必要はない。良きこと、悪しきこと、その波にあわせて悠然とされる方の前で余裕に生きよう。

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実質ある方の元で生きよう

「むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください。」(詩篇119篇37節)

むなしいものから目をそらせ。むなしいものとは、旧約ではおもに偶像のこと。偶像とは実質のないもの、偽りのもの。むなしいとしか思われない人生だが、実質をもたれる、真実な、永遠なる主とつながっていることが、生きている実質をもつということ。どんなに素晴らしい生も、この神を抜きにしたらむなしい。

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