« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »

2006年11月

2006年11月28日 (火)

盗んではならない

「盗んではならない。」(出エジプト記20章15節)

あまりに日常的なことゆえ、軽視されがち。さらに今日では技術・情報の発達で、誰が何を盗んだかも分からないし、法律もついて行けない。盗みは結局人の心にかかわること。神の基準は厳しく、深い。誰も守りきれない。できないからこそ、この神に受入れられて、神の戒めのお心とキリストのまなざしを意識して歩こう。

2006年11月20日 (月)

隣人のものを欲しがってはならない

「あなたの隣人の家を欲しがってはならない。」(出エジプト記20章17節)

隣人のものを欲しがってはならない。何故か。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生み出す--欲は結局、人を神の救いから引き離すことになるから。今の社会は欲望があまりにも先へ先へと進み過ぎている。人間は少なくともここから先は望まない、という限界点みたいなものを考えて行動することが求められている。身の丈で生きることを考えよう。

2006年11月13日 (月)

信頼関係の崩壊

「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。」(出エジプト記20章17節)

いじめ、自殺、単位不足、耐震強度偽装等々、人間苦難を重ね、築き、信頼してきたものが崩れている。改ざん、ねつ造、隠ぺい、中傷…手の打ちようのない絶望的な偽りの罪(第九戒)の中にキリストの死は踏み込んでくる。罪人である信仰者にとって最後の拠りどころであるキリストの偽りなき誠実さに、がっかりしないで信頼していこう。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 6日 (月)

安息日を聖なる日とせよ

「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」(出エジプト記20章8節)

安息日を聖なる日とせよ―義務や重荷の戒律ではなく、人間本来の主との愛と信頼の関係の中でのこと。聖なる日とせよとは、この日を、食べていくための他の6日間の喧騒の日々と区別し、この主についていれば安心だと確信し、現実の生きる道筋を立て、生きることを大事にするするための主とのとっておきの方法である。

| コメント (7) | トラックバック (0)

« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »