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2007年1月

2007年1月29日 (月)

この世の子らと光の子ら

「ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。」(ルカ16章11節)

この世の富は人の目をくらませ、利己的にし、間違った希望を抱かせ、真なる神を捨てさせ、死とさばきにしばりつけるもの。これの管理は「永遠のすまい」という大きい事からすれば小さい事。だがこの世の小さい事の管理にさえ不忠実な者は、やがて大きい事にも無関係になるだろう。この世のかしこさ以上にかしこくあろう。

2007年1月23日 (火)

きびしさは確かさのあかし

「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」(ルカ9章58節)

なんとなく神を信じるとは違い、主についていくことには、枕する所もない、葬りやいとまごいもできないきびしさは当然。神の国――いのちと人生に絶大な意味を与える神の賜物――は御子イエスの死がかかっているゆえに安易はゆるされない。このきびしさは神の国の確かさをあらわす。

2007年1月16日 (火)

主のいのちを見いだそう

「なぜなら、わたしを見いだす者は、いのちを見いだし、主から恵みをいただくからだ。」(箴言8章35節)

主を見失う者は自分自身といのちを損なう---効率を追及する人間は休みと余裕を持たないと自らを損なう。砂をかむような経験をしながらも、日々の発見・感動・感謝への感受性と主にある品性を磨き、1回限りの2007年の自分の人生を紡いでいこう。

2007年1月 9日 (火)

1年のしめくくり

「まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。」(詩篇1篇6節)

ホコリだらけにしていたら貧乏神が居つくから、掃討作戦できれいさっぱりしたい。それは身勝手すぎる。人は「たたけばホコリ」の負い目を持っている。信仰者は53回毎週きっちり生産してきたはずだが、未解決の負債を持ちながらも主にゆだねて、今日のこの時点での信仰の決着を持って、悠然と平安に年の瀬を越えてよい。未来のことも主にお任せしよう。

2007年1月 5日 (金)

いのちに至る門

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3章16節)

神とともに生きるという人間の目的をそれた(罪)自分中心の生活は、いのちなき滅びに至る人生。クリスマスのイエスとは、神が人となられ、この世に来たこと。何のためか。滅び行く人間に、さばきではなく、永遠のいのちを与えるため。クリスマスのイエスは言う―わたしが与える狭い門から入れ、わたしはよい羊飼い、よい羊飼いは羊のためにいのちを捨てる。

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