試練・誘惑・試み
「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」(ヤコブ1章12節)
信仰者は試練に耐え、誘惑を退けて生きる。さらに、試練・誘惑といわないまでも、信仰者は日常的に考えること、為すこと、言うことのあらゆることにおいて、天から見下ろし、見つめておられる神によって、試みられている。特に神と人とへの直接の奉仕にかかわる試みは重要だが、最大の試みは神のみことばにどう反応するかである。
「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」(ヤコブ1章12節)
信仰者は試練に耐え、誘惑を退けて生きる。さらに、試練・誘惑といわないまでも、信仰者は日常的に考えること、為すこと、言うことのあらゆることにおいて、天から見下ろし、見つめておられる神によって、試みられている。特に神と人とへの直接の奉仕にかかわる試みは重要だが、最大の試みは神のみことばにどう反応するかである。
「貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。」(ヤコブ1章9節)
貧しく・低い人、富んでいる人、出来る人、出来ない人…すべて、その人のために死なれた主にとっては、有用な人・重要な人。主は各々にふさわしい取り扱いをされる―貧しい人は主にある高い身分を誇りとし、富んでいる人はその危険性を知り低くされることを誇りとするように。両者とも信仰者であるなら、この世の何ものにも脅かされない永遠の富である主を持つことを価値基準とする。
「そういうのは、二心のある人で、その歩む道すべてに安定を欠いた人です。」(ヤコブ1章8節)
様々に変化する実生活での安定した信仰の土台に必要なのは、「あれが欲しい、これさえあれば…」による安定ではなく、自分に起こっていることをどうとらえるかの霊的洞察力(神の知恵)。神と人の前で疑ったり、心の割れた状態では安定しない。よそ見することなく、自分の全てを総動員して主に集中し、安定した土台を築こう。
「信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。」(ヤコブ1章3節)
歴史の中には否定されるべき、悲痛な奴隷がいたが、信仰者が信仰と忍耐に生き得るのは、キリストの奴隷であるから。キリストの奴隷であることには、逆に、真の自由・平安・栄光があり、喜び・誇りでさえある。キリストの奴隷として、神と人に対する服従・忠誠・謙遜…を嫌ってはならない。