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2007年4月

2007年4月23日 (月)

いのちを望む

「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイ7章13,14節)

2007年4月16日 (月)

よみがえりの主にお会いしよう

「あなたがたは、なぜ生きておられる方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」(ルカ24章5・6節)

イエスのよみがえりとは、人生やいのちを教えるための架空の宗教的な話ではなく、人の思考と力を超えた神によるみわざ。そのみわざとは、イエスの十字架の死を完成させ、罪ゆえに滅びゆく人間を真の神と永遠に結びつけること。創造主なる神との愛と信頼による結びつきは、人の行き着くべき、死を越えた真のゴールへと導く。

2007年4月 9日 (月)

汝われとかかわりなし

「もし私が洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」(ヨハネ13章8節)

ご自分の時が来たことを知られたイエスは、「もし洗わなければ、世に来たことが無駄になる。だからあなたの足を洗わせてください。」と、まるで懇願するかのように、世にいる自分のものを愛された。永遠のいのちの祝福を受けて欲しい!どうしても!

2007年4月 2日 (月)

罪が熟して死を生む

「欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」(ヤコブ1章15節)

欲とは、神と神の愛・清さから離れ、無視することに通じる罪の動き。罪が熟すると、死―人間性の喪失と永遠の死―をもたらす。この死から逃れる道はただひとつ―キリストの苦しみの愛を無視する自らの罪を悔い改め・キリストの赦しの中に入れられる道。死を生むのか、いのちの冠を受けるのか。

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