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2007年5月

2007年5月28日 (月)

自分自身のように隣人を愛せよ

「あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。」(ヤコブ2章13節)

聖書の「隣人愛」には二つのことが付加されている。
①神を愛することが第一、隣人愛は第二。神を愛することから隣人愛が出る。隣人愛があっても神を拒否するなら無意味になる。
②「自分自身のように」とは、自分のことならまず第一に具体的にやるように、隣人に対しても具体的であれ、とのこと。
神にかかわる「隣人愛」には、「あわれみなき者には、あわれみなきさばきがある」ことを心にとどめよう。

2007年5月21日 (月)

教会の席にある平安

「神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。」(ヤコブ2章5節)

富む者と貧しい者とに分けへだてはあってはならない。何故か。①それは身を低くされた栄光の主を引きずりおろすことになるから。②主は愚かな弱い者こそを神の国にふさわしい者として選ばれたから。教会の席は、かたより見ること、引っ張り合い、世からの勧めや中傷に振り回されず、自由にされるところ。傷つけるより、助けるチャンスを持つ者になろう。

2007年5月14日 (月)

一心に見つめて離れない人

「自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐ忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。」(ヤコブ1章5節)

みことばを「聞く」とは、「行なう」ことも含む。何故なら、みことばは、神がその人への御心を語りかけることだから。行なうためには、みことばそのものであるキリストを一心に見つめて離れないことが必要。自分と自分の囲いがどう悲しく、汚く、痛みがあろうとも、それらを全て吸い取ってくださったキリストの親しい交わりの中で、克服し、平安をいただこう。

2007年5月 7日 (月)

人の怒りと神の義

「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」(ヤコブ1章20節)

人の怒りは神の義を実現しない。人の怒りは全ての正常な動きを止め、神から離れさせる。怒りは生きていくのに絶対必要ではない。怒りは人の手の中にあると言うより、神の手の中に入れておくべきもの。怒りが神の義となるかどうかは神が決定なさること。自らの怒りを自分に対して絶対に義しく、かつ恵み深い方の手にまかせよう。

2007年5月 1日 (火)

たった一度の人生

いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。(ピリピ2章16節)

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