永遠の課題と永遠のいのち
「兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。」(Ⅰヨハネ2章10節)
愛し合うこと―永遠の課題。今日には、身勝手・理不尽な要求に自分の感情を押し殺し、ひたすら我慢して合わせなければならないという非人間的なやみがある。しかし神はこの絶望的な永遠の課題に対してキリストの決定的なみわざ(光り)である永遠のいのちをもって答えられた。この光の真実を見る者は、もはやうぬぼれたり自暴自棄になったりできない。
「兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。」(Ⅰヨハネ2章10節)
愛し合うこと―永遠の課題。今日には、身勝手・理不尽な要求に自分の感情を押し殺し、ひたすら我慢して合わせなければならないという非人間的なやみがある。しかし神はこの絶望的な永遠の課題に対してキリストの決定的なみわざ(光り)である永遠のいのちをもって答えられた。この光の真実を見る者は、もはやうぬぼれたり自暴自棄になったりできない。
「あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。」(詩篇119篇103節)
人はみことばを食して生きるように造られた。みことばには神の愛が満ち、この世のどんな情報・知識・経験に勝る賢さを持つ。みことばが真に甘いものとなるためには神が嫌われるものを捨て、神が見ておられることを意識し乳飲み子のように慕い求めなければならない。
「測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。」(詩篇16篇6節)
私の幸いは主のほかにはない。①主はどこでもいつでも相続財産・生きる土台②清濁合わされたよう運命とも言うべき様々な杯を最後の滴まで飲みつくした方③測り綱がどこに落ちるか、緊張と期待の人生―私の好む所に落ちたと言い得る信頼と平安に生きよう。