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「イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。「気が狂ったのだ」と言う人たちがいたからである。」(マルコ3章21節)
神と人のために自分を削り与えることなど、この世では引き合わない生き方。しかし主イエスに接した者は、少しでも上の安楽な生き方より、自分を提供する生き方を喜びとし、充実したものとする。今日のゆがめられた愛(溺愛...etc)に翻弄されている者は、「気が狂った」と言われるほどの主の誠実に目を向ける。与えつくしても破れない主のもとに立ち返ろう。