« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

2007年12月

2007年12月30日 (日)

ギ、ギーを越えておられる方

「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。」(Iペテロ2章22節)

今年の世相を表す漢字は偽。儀は欺、疑に通じる。人も、社会も、信仰者の心も、すべて、ギ、ギーときしんでいる。年の絞めの朝、締めの言葉、完璧な言葉を聞く。「キリストは罪を犯したことがなく…偽りも見いだされませんでした。この方が、私たちのギ、ギーの上におられることが、この年を、いや私の一生を引き締める

2007年12月23日 (日)

馬小屋・物置小屋・牢屋の赤子

「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。」(ピリピ2章6~7節)

馬小屋のイエス。物置小屋に住み、イエスを伝える婦人宣教師。イエスを伝えたがために獄屋に入れられた宣教師パウロ。人の罪の赦しのために、人となられ、人以下の死を遂げられた馬小屋のイエスの生き様に、天を仰ぎ、胸を打ち、黙す他ない者にとって、物置も獄屋も気にならない。「イエスの生涯―これが事実だった」とこぶしを握って、涙をため、神をほめたたえよう。

2007年12月17日 (月)

私を贖う方は生きておられる

「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。」(ヨブ19章章25節)

敬虔に生きてきたヨブは突然の災いと友の非難に苦しむ。その中で”私を贖う方”を見る。その方は隠れた罪を罰する神ではなく、ヨブの罪にもかかわらず、ヨブの味方となり、赦し、きよめてくださる贖う方。その様な方がおられなければならない。必ずおられると確信する。そのヨブの”贖う方”をはっきり示しているのが、クリスマスの主 イエス・キリスト。

2007年12月10日 (月)

恥の文化でなく、いさぎよく罪を

「イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。」(マルコ2章5節)

人の評価を土台にした恥の文化では、罪を突き止めることなく、せいぜい恥くらいで済ませる。「あなたの罪は赦されました」は、今日の人間の失くしたもの。この言葉を人はいつか必ず聞かねばならない。聞くためには、悔い改めてキリストの悲しみと愛を受け入れることが必要。恥程度で満足せず、クリスマスの主の前に探られ、潔く歩もう。

2007年12月 3日 (月)

支えられる教会

「そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。」(マルコ2章3節)

律法学者を除いて、家に集まった人々、中風の人、四人のかつぎ手たちが教会を支える。安息日を週のとっておきのクライマックスとし、この日この場を失ったら、自らの内的滅亡につながるかも知れないと思う人、身動きできない罪びとだが、来れば何か新しく開けるかもしれないと思う人。他人の家の屋根をぶち壊す大胆さ、愛、危機感を持って、誰かのために戸板をかつぐ人…

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »