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2008年1月 1日 (火)

2008年元旦礼拝  「私の時は、御手の中にあります」

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<聖書:詩篇 31篇9-15>

9 私をあわれんでください。【主】よ。
 私には苦しみがあるのです。
 私の目はいらだちで衰えてしまいました。
 私のたましいも、また私のからだも。
10 まことに私のいのちは悲しみで尽き果てました。
 私の年もまた、嘆きで。
 私の力は私の咎によって弱まり、私の骨々も衰えてしまいました。
11 私は、敵対するすべての者から、非難されました。
 わけても、私の隣人から。
 私の親友には恐れられ、外で私に会う者は、私を避けて逃げ去ります。
12 私は死人のように、人の心から忘れられ、こわれた器のようになりました。
13 私は多くの者のそしりを聞きました。
 「四方八方みな恐怖だ」と。
 彼らは私に逆らって相ともに集まったとき、私のいのちを取ろうと図りました。
14 しかし、【主】よ。私は、あなたに信頼しています。
 私は告白します。
 「あなたこそ私の神です。」
15 私の時は、御手の中にあります。
 私を敵の手から、また追い迫る者の手から、救い出してください。

<メッセージ>
今日のみことば、
「私の時は、御手の中にあります。」
私の生涯の出来事、経験は盲目的な偶然によってではなく、神の計画によってである。
過去、現在、未来の長い一直線の中に人は生きているが、過去と未来の境目に現在がある。
現在をどう生きているかで、過去も未来も変わってきてしまう。私の時は神の御手の内にある。
新年という区切りも神の御手のうちにある。
新年は何のためにあるか。
新年は死んだ人を思うためにある。と唄ったた人がいる。
なぜ自分よりも優しい人が先に死ぬのか。を考える。
悲しいことは、気付かないか、考えないで過ごす。
日本人は喪中として、あえて、人生でもっとも大切なことを避けようとするのは神の目からは罪ではないか。
新年は死んだ人を偲ぶためにある。
縁起が悪い悲しい出来事も神の御手の内にある。
この事を覚えつつ新年をスタートしたい。