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2008年2月

2008年2月24日 (日)

2008年02月24日 主日礼拝「キリストに対する真実と貞潔」

<聖書:Ⅱコリント11:1-3>
1 私の少しばかりの愚かさをこらえていただきたいと思います。いや、あなたがたはこらえているのです。
2 というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。
3 しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。

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<メッセージポイント>
神と人との結びつきについて聖書は2つの姿を語る。1つは、神によって造られた動物の自然な純な姿。もう1つは、花婿と花嫁の関係として― 即ち、教会は花嫁の清純さのように神への真実と貞潔を求められている。貞潔など今日死後に近いが、世がどう変わろうとも、神の持たれる真実と貞潔を拠り所として歩もう。

2008年2月17日 (日)

2008年2月17日 主日礼拝「あなた方を、人間をとる漁師に。」

<聖書:マタイ4:18-22> 18 イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。 19 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」 20 彼らはすぐに網を捨てて従った。 21 そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。 22 彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。 Image_009

<メッセージポイント 斎藤丈志牧師>ガリラヤ湖、異邦人が混ざっていて、そこにすんでいる人たちはエルサレムの人から蔑まれていた。ぺテロ、アンデレは漁師、取り立ててsぐれていた人でもなく、むしろとから蔑まれるようなガリラヤの漁師を選ばれた。(ヤコブ2:4)イエス様が選ばれたのは、優れた人ではなく、普通の人ヨハネ1にはすでに彼らとイエス様があっていることが示されている。シモンとアンデレはそれぞれの場であって汗して働く湖とを教えられる。日々の働きが進行とは関係ないと軽視されてはならない。すべては主の御手のなかにある。私たちが日日の中にある湖とを益として用いて下さる。私たちには困難を避けようとする性格がある。そのようなことを神は否定せず、その困難を乗り越えるために助けてくださる。彼らは前からイエスを知っており、実質的なイエスの弟子であった。しかし、彼らは職業を持っていたのだが、もっと直接的に使えるために職業も捨ててついていくことになった。備えの期間を経て、彼らを全く違った関係を作るために、イエスはここに現れて、召命した。人間をとる漁師へ変えられる。神の技をなす人。イエス様が変えられる。シモンとアンデレに求められているのはただ、ついてきなさいということだけ。自分を低くしてイエス様の姿に近づくこと。背後にある神様の導き。 4:21 そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。 4:22 彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。 家族も財産も、自分のものだと思って、自分ですべての責任んを追うな、イエス様に委ねろ。主に従え。イエス様の歩まれた道を私たちも歩ませてもらう Image_008

2008年2月10日 (日)

2008年春の特別礼拝へのご案内

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2008年02月10日主日礼拝「主にあって誇りなさい」

<聖書:Ⅱコリント10:12-18>
10:12 私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。
10:13 私たちは、限度を越えて誇りはしません。私たちがあなたがたのところまで行くのも、神が私たちに量って割り当ててくださった限度内で行くのです。
10:14 私たちは、あなたがたのところまでは行かないのに無理に手を伸ばしているのではありません。事実、私たちは、キリストの福音を携えてあなたがたのところにまで行ったのです。
10:15 私たちは、自分の限度を越えてほかの人の働きを誇ることはしません。ただ、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたによって、私たちの領域内で私たちの働きが広げられることを望んでいます。
10:16 それは、私たちがあなたがたの向こうの地域にまで福音を宣べ伝えるためであって、決して他の人の領域でなされた働きを誇るためではないのです。
10:17 誇る者は、主を誇りなさい。
10:18 自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。

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<メッセージポイント>
知恵、富、力を誇るのではなく、主と、主を知っていることを、主に在って誇れ。美しく、素晴らしく見えるだけの、あいまいな、自分はまだましだとのささやかな満足による身勝手な誇りに仕えることは無意味。主を知る者は、種があまりにすばらしい方であるゆえに、身を低くし、にじり口から入り、仕えることに平安と喜びを得る。

2008年2月 3日 (日)

2008年2月3日主日礼拝「「キリストの柔和と寛容」

<聖書:Ⅱコリント10:1-6>
1 さて、私パウロは、キリストの柔和と寛容をもって、あなたがたにお勧めします。私は、あなたがたの間にいて、面と向かっているときはおとなしく、離れているあなたがたに対しては強気な者です。
2 しかし、私は、あなたがたのところに行くときには、私たちを肉に従って歩んでいるかのように考える人々に対して勇敢にふるまおうと思っているその確信によって、強気にふるまうことがなくて済むように願っています。
3 私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。
4 私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。
5 私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、
6 また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。

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<メッセージポイント>
柔和や慣用とは、お互いがただやさしく、丸く収め、皆がいい気分になることと思われている。しかし、キリストの柔和と寛容には、紙の人に対する罪への憎しみとそれを何とか赦そうとされる愛が背後にある。キリストは人の罪の痛みを自ら負うことによって憎しみを終わらせ赦す。キリストを信じる者として、痛みを理解し、負い、お詫びし、赦すあり方に近づきたい。

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