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2008年3月30日 (日)

2008年3月23日 主日礼拝「自分の弱さを誇る」

<聖書:IIコリント11章23-33>
11:23 彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。
11:24 ユダヤ人から三十九のむ
ちを受けたことが五度、
11:25 むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。
11:26 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
11:27 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。
11:28 このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。
11:29 だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。
11:30 もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。
11:31 主イエス・キリストの父なる神、永遠にほめたたえられる方は、私が偽りを言っていないのをご存じです。
11:32 ダマスコではアレタ王の代官が、私を捕らえようとしてダマスコの町を監視しました。
11:33 そのとき私は、城壁の窓からかごでつり降ろされ、彼の手をのがれました。

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<メッセージポイント>
パウロのキリストの信任状は傷痕。そのもっとも最たるものは教会へのたましいへの心づかい。主に従う者たちが、そのやさしさの故に必然的にになう痛みをパウロもになう。この痛みをになうことは、キリストもになわれた故に、誇りである。痛みをになう弱さの中に、主の支えとみわざがあらわされる。これは尋常ではないことー隠された神の奥義。


<詳細>
このキリスト教の歴史は2000年になる。日本でのキリスト教は短いのですがそれなりに受け入れられている。クリスマスや結婚式。あえて、キリスト教でという人もいる。またキリスト教の葬儀に感動される方も多い。しかしこれらは外から見えること。キリスト教の中身は見えない。
中身は何か。十字架にか勝手死なれ、そしてよみがえるという中身は隠されている。キリスト教の教会においてですら隠されているかもしれない。
しかしこれは分かる人には分かるが、かくされている。
コリントの手紙では、キリスト教の隠された大切な部分をい語っている。
すでに、見てきた。「誇り」。私たち誇りを傷つけられることがある。クリスチャンでも傷つけられ離れる人もいる。
信仰者花にを誇るのか。
主を誇る。主なる紙を知っていることを誇る。
羽うロハキリスト虚言うの隠された部分を妙な言い方をしている。
今日の聖書の箇所では自分の弱さを誇る。
謙遜、自分の罪を認めキリストに救われたも者は謙遜になる。
本当の意味で神様の前で自分は弱い人間という謙遜であればよいが不利をしている。思い込んでいるだけだと、はなにつく。昔から謙遜傲慢といっている。
パウロの自分の弱さを誇る。というのはどういうことか。
自分をダメ人間です。と誇りを傷つけられる。
自分の弱さを主が助けてくれる。主が私の弱さに現れてくれる。

パウロがあれだけ苦しんでできた。
日本の宗教の場合、その人個人の偉大修行を褒め称えられる。
パウロもそうだったが、性格の違った苦しみ。
教会への心配。一人一人の信仰に対する心配。
日本の修行僧が他の人のために何かを矢田かというおほとんどが自分のため。
パウロが苦労したのはすべて、人間のこと。
現代社会でも、セクハラ、パワハラ、とか苦しんでいる人がいる。
教会に来る人は人を見る目が厳しくなる。祖の炒めに苦しむことが多い。
人間のたましいのためにパウロは苦しんだ。
教会に来る人は何かを考えているとか何かを気遣っている繊細さを持っている。祖のために苦しむ人もいる。自分の潔癖さのために、他の人を受け入れられなくなる。

パウロの痛み。
紙を信じる、仕えるというのはどういう意味。
自分がつぶれてしまう位に苦しむ。
痛んでいる自分のそういう弱さを誇り、喜ぶのだ。
それはなぜか。痛んでいる弱さはキリストにおいてはダメではことではない。キリストが担っていたことと同じ。
キリストの僕、キリストのために苦しむ弱さ。
パウロは苦難や自分の弱さを誇る。最後のところでパウロは二つのことを行っている。
なぜこんなことが出てくるのか。上記の苦しみのうちのひとつの事件について思い立ったように語った。最初の迫害だったから。みっともない毛件をしたから。語っておる。
逃げ出すといったみっともない夜連れ出されて窓から逃げ出した。逃げ出して助かった。
主が与えてくださったから主を誇りとし、喜んだ。
キリスト教の外面の華やかさとは裏腹に、中身はキリスト教の苦しみ、痛み、復活。尋常ではない。隠されている。紙を知りたいと願う人に隠されている。
神様の愛を分かりたいと思うものだけにしか開かれていない。主から与えられている歩みを全うしたいと思う。